5月26日(木)放送の『カンブリア宮殿』(テレビ東京系)に、博多明太子のパイオニア、株式会社ふくや社長の川原正孝(かわはらまさたか)さんがご出演されます。

明太子はいまや博多を代表する名産品となっていますが、この明太子を日本で初めて製造販売したのがふくやなんだそう。

今回は、川原正孝さんのプロフィールと経歴・学歴銀行員時代ふくや明太子誕生新商品について、ちょっと調べてみました。

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博多明太子「ふくや」社長・川原正孝のwiki風プロフィール!

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出典:http://www.fukuya.com/

名前:川原 正孝(かわはら まさたか)
生年月日:1950(昭和25年)年3月18日(66歳)
出身:福岡県博多区
学歴:福岡県立福岡高等学校を経て、甲南大学経営学部卒
趣味:博多祇園山笠、ゴルフ

株式会社 ふくや 代表取締役

1973(昭和48)年、福岡相互銀行(現西日本シティ銀行)入行。

1979(昭和54)年、(株)ふくや入社。

1986(昭和61)年4月、常務取締役就任。

1994(平成6)年 4月、代表取締役副社長に就任。

1997(平成9)年1月、代表取締役社長に就任。

毎年、博多祇園山笠に参加するほどの山笠好き。

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出典:http://www.chi-katsu.com/

地元を大切にすること をモットーに、常に美味しい明太子づくりを追い求めている。

川原正孝の学生時代は港湾労働者?!

福岡から昭和44年に兵庫県神戸市の甲南大学へ入学した川原正孝さん。

大学では、高校時代から続けていた空手に没頭。

授業は全く出ず、空手とアルバイトに明け暮れていたそうです。

アルバイト先の運輸会社で、そのまま働こうと思っていたため、就職活動も全くしていませんでした。

アルバイトの仕事内容は、大阪の港湾で荷物を上げ下げする仕事でしたが、空手部の先輩がいる会社でもあり、川原さんが本当に好きな職場だったんだそう。

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出典:http://zenkoku-kowan.jp/

ところが大学4年生の6月、空手の西日本大会が福岡で開催され、川原さん率いる甲南大がベスト8に入ったときのこと。

久しぶりにあった母から、「ようやく(空手から)解放されたね。ところで就職はどうするんだい?」と聞かれたそうです。

「神戸の運輸会社で、港湾労働者の現場監督や」と答えると、当然、博多に帰ってくると思っていた川原さんの母は、慌てて兄の健さんに相談。

健さんが福岡相互銀行(現、西日本シティ銀行)に勤めていた関係で、川原さんはすぐに銀行の面接を受けさせられることに。

入社試験の成績は最下位だったものの、兄が当時の福岡では珍しい慶応大学卒という秀才。

川原さんは、兄の七光りで採用されることとなりました。

川原正孝、銀行員時代も出世していた?!

同期がみんな、天神や博多駅周辺に配属される中、コネ・情実入社・成績最下位の川原さんは、それより田舎の荒江支店(福岡市早良区)に配属されてしまいます。

しかし、ここからが川原さんの本領発揮が始まります。

銀行は、預金を集めることと集めたお金を貸すことが主な仕事ですが、川原さんは誰よりも多く顧客を廻られました。

朝6時からはお年寄りのゲートボール集会にも参加して、年金預金をごっそり獲得。

他社銀行(西日本銀行や福岡銀行)の従業員出口を張り込んで、営業マンの後をつけて、行く先々の顧客をデータべース化し、後日、その潜在顧客を片っ端から訪問し、ライバルから根こそぎ奪い取る。

こういった型破り営業で、川原さんは、新規契約高でつねに社内NO1クラスの実績を誇っていました。

入社6年目には昭和48年入社の同期中トップで、支店長代理に就任。

荒江支店でめざましい業績をあげた川原さんは、本店営業部へ異動することとなります。

西日本シティ銀行 本店↓
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出典:https://ja.wikipedia.org/

ところが、そんな昭和54年の夏、父・俊夫さんから、兄と川原さんに、家業を手伝ってくれないかと打診がありました。

当時、俊夫さんは67歳。

3年前から胃潰瘍を患い、健康状態が急速に悪化しつつありました。

その時、兄は福岡相互銀行の支店長、川原さんは本店営業部の部長代理。

兄の支店長という立場は、銀行内でも重要で、すぐには離任できません。

それと比べて川原さんは部長代理という肩書こそあれ、まだ身軽な営業の身でした。

川原さんは、銀行の仕事も乗りに乗っている時で、かなり悩んだそうですが、徐々にいつかは帰らねばならないかなと思うようになります。

ただ、家業を継ぐにしても、‟あいつは銀行でダメだったから家業に戻った”とは言われたくなかったそうで、戻るなら、トップの時に戻ろうと考え、銀行の仕事は手を抜かなかったということです。

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