4月17日(日)、TBS系で放送の「情熱大陸」では、外国人として初めてJRA所属騎手となり、昨年の最多賞金獲得騎手にも輝いたイタリア人ジョッキー、
ミルコ・デムーロさんがご登場されます。
今回は、ミルコ・デムーロさんのプロフィールと経歴、来日のきっかけと日本語が上手な理由、性格、皐月賞2016の結果まで、ちょっと調べてみました。
イタリア人JRA騎手、ミルコ・デムーロのプロフィールと経歴!
出典:http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba_fight/2015/10/11/post_459/
名前:ミルコ・デムーロ(Mirco Demuro)
生年月日:1979年1月11日(37歳)
出身:イタリア、ローマ
身長:156.5cm
体重:52kg
血液型:A型
日本中央競馬会 (JRA) 所属の騎手。
元騎手であった父のもと、15歳で騎手デビューし、21歳で初来日。
年間3カ月しか日本で騎乗することができない「短期騎手免許」ながらも、2003年、国内最高峰クラスのG1レース・皐月賞を初制覇。
2011年には世界最高賞金のドバイワールドカップで、日本競馬関係者の長年の悲願であった日本馬を初めて優勝に導くという歴史的快挙を成し遂げる。
東日本大震災の直後だったこのレースに喪章を付けて騎乗したミルコの「日本人のために勝ちたいと祈っていた」というコメントには競馬ファンならずとも胸を熱くした。
その後数々の輝かしい戦績を上げ、2012年の天皇賞では、勝利の後に天皇陛下ご臨席のスタンド前で下馬し、ひざまずいて最敬礼するという紳士的な振る舞いが話題となった※。
※本来ならば、騎手はレースが確定するまでは下馬することは禁止されている。両陛下も手を振りこれに応えられたため、この件の審議は一応行なわれたが不問とされた。
最敬礼するミルコ・デムーロ騎手↓
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/ミルコ・デムーロ
2015年2月5日、JRAの騎手免許試験に、同時に受験したクリストフ・ルメールとともに合格。
JRA初の外国人として、日本での通年騎乗免許を取得した。
2015年3月1日より、外国人として初めてJRA所属騎手となり、2015年の最多賞金獲得騎手にも輝いた。
京都府京都市在住。
弟のクリスチャン・デムーロもイタリアの騎手であり、2011年から度々短期免許で来日し、兄弟で同時期に騎乗する機会もあった。
クリスチャン・デムーロ騎手↓
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/クリスチャン・デムーロ
ミルコ・デムーロが日本に来たきっかけは?
ミルコさんの父親もジョッキーだったため、その影響で、自然に騎手への道へ進まれたというミルコさん。
騎手以外の職業を考えた事はないのだそうです。
デムーロさんは、騎手としてキャリアを積みながら、99年に初来日されます。
日本に来ようと思ったきっかけは、何だったのでしょうか?
ミルコさんのお話しです。
「イタリアの有名な馬が種牡馬として次々に日本へ行っていたからね。トニービン、ホワイトマズル、コジーン・・・こんなに一流馬が行く日本ってどんなところなんだ?って興味を持ったんだ。それで、現地に行って確かめようと思ってね」
そしてミルコさんは、18歳の時、JRAに「日本で乗りたい」と手紙を書いたそうなんですが、その時は、若すぎることが理由で許可が下りなかったそうです。
翌年、19歳の時に許可が下りますが、最初に日本へ来た頃は、辛いことも多かったようです。
周りと溶け込めなかったり、まだ今みたいに実績を残していなかったので、乗りたい馬にも乗られなかったりしたそうです。
今のいつも楽しげなミルコさんからは、想像できませんね。
しかし、徐々に結果を残していき、勝つことで、良い馬にも恵まれるようになっていかれました。
ミルコ・デムーロの日本語が上手なワケとは?
ミルコさんは、通訳なしでインタビューの受け答えができるほど、日本語が達者です。
日本語はどうやって覚えたのでしょう?
それは、JRAの騎手試験が関係しているようです。
騎手試験の2次試験では、日本語での口頭試問が行われるため、ミルコさんは一時騎乗を自粛してまで、日本語の勉強に熱心に取り組まれていたそうです。
そのため日本語は堪能で、日本の競馬新聞の読み方を覚えて熟読しているんだそう!
出典:http://nankan.chihou-keiba.net/?p=662
レース前に競馬新聞を読んで作戦を立てているとの情報もあります。^^
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