2004年アテネパラリンピック出場!

はじめて射撃を体験してから、わずか2年後の2004年、何と瀬賀さんは、アテネパラリンピックに出場します!!

そして、8位に入賞

わずか2年で世界8位なんて、ものすごい快挙ですね!

そのころの亜希子さんは、射撃が生活の中心で、家事は殆ど親任せ。

ご自身は射撃に集中し、さらなる上を目指してレベルアップに励んでいたそうです。

「もっと頑張れば、次の北京ではメダルが獲れるかもしれない」と、アテネの直後は、そう思っていたという亜希子さんですが、その後、結婚を機に射撃からは徐々に遠ざかっていかれました

瀬賀選手2
出典:http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/3300/222039.html

本格的に復帰したのは2011年、復帰2戦目となった11月のワールドカップ(豪州)で、日本人初の600点を出す快挙を達成し、一躍ロンドンでのメダル候補に。

ロンドンのころの亜希子さんは、‟射撃は家庭があってこそのもの”という考えになり、その結果、自分らしい射撃ができて、心にゆとりを持てるようになったんだそう。

しかし、ロンドンパラリンピックでは21位に終わり、会場からの帰りのバスでは、涙がこぼれたんだそうです・・・。

ロンドン
出典:http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/3300/222039.html

そして、今、リオでの3回目のパラリンピックに向けて、ご自分のペースで調整中です。

練習をやりすぎると、リウマチによる指やひじに痛みが出て、1か月休まないといけなくなったりもするそうです。

週2回くらいの練習で、「もっと練習したい!と思っても自重することが大事だ」そうです。

障害のある人の身体はものすごく繊細で、障がい者アスリートたちは、これ以上練習はしてはダメだとか、これ以上食べてはいけないとか、自分の身体とよく向き合い、自分の身体をよく知っていると、障がい者スポーツのボランティアをされていた方から聞いたことがあります。

亜希子さんもまさにその通りですね。

練習したいのに身体を優先させなければならないなんて、きっと、精神的にはとても我慢が強いられますよね。

障害のある方のスポーツは、より一層の自己管理力が求められるんですね。

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瀬賀亜希子の夫・瀬賀康昭さんについて!

まじめな話の後にミーハーな話題で恐縮なんですが、瀬賀亜希子さんを支える夫、瀬賀康昭さんについて調べてみました。

有名人ではないため、確たる情報は得られませんでしたが、この人かな?っていう方をフェイスブックで見つけましたので、そこから得た情報をシェアしますね。^^

segayasuaki
出典:https://www.facebook.com/yasuaki.sega

名前:瀬賀 康昭

生年月日:1964年6月23日

出身:群馬県安中市

康昭さんは、印刷会社に勤めていた約20年前、両手をプレス機に挟まれる事故に遭い、左は手首より先を切断、右は指一本を残すだけの障害を持つことになります。

その後パラリンピックの射撃選手として10年間、スポーツの世界でご活躍され、アテネパラリンピックでは日本代表の座を狙うほどの腕前だったそうです。

このころに亜希子さんに出会ったんでしょうか。^^

しかし、「社会の一員として働き、認められたい気持ちが高まった」という理由から、就職を希望するようになりました。

パソコン教室に通い、ワード、エクセルなどをマスターするも、「障害者雇用合同面接会」では、50社以上の会社からその場で断られるという憂き目にあってしまいますが、最終的にご縁があって、東海大学医学部付属病院に就職が決定、現在も勤務されているようです。

「正直言って障害年金と労災保険がありますから、(働くのは)お金のためじゃないのです。それよりも、社会に参加したい、自分の居場所が欲しいという衝動が強かったですね」

引用:http://www.ref.jeed.or.jp/19/19505_2.html

と語っていらっしゃいます。

おわりに

家庭と射撃の両立は、決して簡単なことではないと思います。

そんな中、どうやって亜希子さんは年々スコアアップを実現させているのか?

康昭さんはどんな風に亜希子さんをサポートしているのか?

2/22の「ハートネットTV」、放送を楽しみにしています。