山本昌と恩人・アイク生原との出会いとは?米ドジャースへ留学した若い頃!引退後は?

4月8日(金)、日本テレビ系で放送の「アナザースカイ」に、元プロ野球・中日ドラゴンズ選手山本昌さんが登場されます。

昨シーズンで、32年間の野球人生に終止符を打たれた山本昌さん。

若手時代に野球留学したアメリカ・フロリダでの出会いが、山本さんの野球人生を大きく変えることになったそうです。

今回は、山本昌さんのプロフィールや経歴、若い頃や留学時代、恩師のアイク生原さん、今後について、ちょっと調べてみました。

スポンサーリンク

元中日ドラゴンズ選手・山本昌のプロフィールと経歴!

EFBC91E5B1B1E69CACE6988C
出典:http://matome.naver.jp/odai/2141535749383832301

名前:山本 昌(やまもと まさ)
登録名は初めて最多勝を獲得した縁起を担いで「山本昌」のまま
本名:山本 昌広(やまもと まさひろ)
生年月日:1965年8月11日(50歳)
出身:東京都大田区生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身
学歴:松林小(神奈川) ー 松林中(同) ー 日大藤沢高(同)
サイズ:身長 186cm、体重 87kg
ポジション:投手
投打:左投左打

1984年にドラフト5位で中日ドラゴンズに入団して以来、32年間中日ドラゴンズ一筋で活躍したフランチャイズプレイヤー

長期にわたって同一のチームの第一線で活動し続ける選手を指す。

プロ生活32年、実働29年はいずれも歴代最長で、数々の最年長記録を樹立している。

3度最多勝に輝き、94年には沢村賞を受賞

2006年には史上最年長でのノーヒットノーラン、08年には通算200勝を史上最年長で達成した。

プロ通算219勝のうち半分以上の140勝を30歳以降に記録しており、また40歳以降でも46勝を挙げた「中年の星」、「レジェンド」として、記録にも記憶にも残る名投手として知られる。

2015年9月26日、ブログで引退を発表。

10月7日のシーズン最終戦で広島戦に先発し、先頭打者をセカンドゴロに打ち取り、現役最後の登板を終え、32年に渡る現役生活に終止符を打った。

山本昌の成績

  • 初勝利 88年8月30日・対広島18回戦(ナゴヤ)=中継
  • 初完投 88年9月16日・対ヤクルト20回戦(神宮)=初先発・無点勝
  • 500試合登板 2007年5月27日・対日本ハム1回戦(ナゴヤドーム)=先発
  • ノーヒットノーラン 2006年9月16日・対阪神18回戦(ナゴヤドーム)・史上73人目。
  • 通算100勝 97年7月21日・対阪神20回戦(甲子園)・史上114人目
  • 通算2000回登板 2000年9月5日・対横浜21回戦(ナゴヤドーム)・史上79人目
  • 通算2000奪三振 2006年9月9日・対広島16回戦(広島)3回、打者・新井・史上18人目
  • 通算3000回登板 2008年5月14日・対ヤクルト8回戦(神宮)・史上26人目
  • 通算200勝 08年8月4日・対巨人16回戦(ナゴヤドーム)・史上24人目

元プロ野球選手・山本昌の若い頃は?!

山本昌さんは、日大藤沢高校時代に甲子園出場経験はなく、全国的には無名の投手でした。

神奈川県高校選抜チームの一員として、社会人チームとの対戦に好投したとき、「体が大きく、将来伸びる可能性がある」とスカウトされ、ドラフト5位で中日に入団されます。

しかし、入団後はなかなか芽が出ず、最初の2年間は2軍暮らし。

その後の2年も、1軍での登板はわずか4試合のみで、勝ち星ゼロ。

若い頃の山本昌↓
9ce1678a-12f0-41f9-8024-68e70152fb7c
出典:https://middle-edge.jp/articles/aWLho

3年目のオフの秋期キャンプで、新監督に就任した星野仙一氏が、キャンプで山本昌さんを見た時、「コントロールも悪く、球速もなくてがっかりした」と述べています。

1987年に自由契約の危機もありましたが、その時、球団が結果保留したのは、「体が大きいから」という、野球とは関係のない理由だったそうです。^^;

転機が訪れたのは入団5年目の1988年、当時、中日が提携していたLAドジャースとの合同キャンプでした。

ドジャースとの交流関係を保つために、その年の戦力にならない選手を選んで派遣する必要があり、山本さんには、「手足が長く、体も大きい。アメリカの指導者ならこういう選手の扱いに慣れている分、うまくいくかもしれない」という、一縷の期待をかけられていたといいます。

ドジャータウンへの入り口↓
img2626755bzik9zj
出典:http://plaza.rakuten.co.jp/eaglescamp/diary/200703010000/

山本さんは、ドジャース傘下のマイナーリーグ(1A)に所属し、そこで、ドジャースの世話役・アイク生原と出会いこれが人生の転機となります

生原さんは、当時日本では誰も投げていなかったスクリューボールを習得するよう山本さんに助言。

スクリューを身につけた山本さんは、みるみる頭角を現し、1Aのオールスターに選抜され、メジャーからオファーがくるまでになります。

これを知った中日は、慌てて山本さんを日本に呼び戻し、ここから、山本さんの快進撃が始まることになります。

アイク生原について!山本昌の今後は?次のページへ!

スポンサードリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする